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大阪のとある広告代理店に勤める、おつぼねデザイナーの雑記です。
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1000000人のキャンドルナイトというイベントが
西梅田で行われるということでチラッと見に行ってきました。

このイベントは、「でんきを消して、スローな夜を」という
コンセプトの元に、夏至の夜、2時間ばかし電気を消して
ろうそく・・ではなくキャンドルを灯し、
スローな夜を過ごしませんか?ということのようです。

大阪だけではなく、全国でチラホラとイベントをやっています。
「エコ」ということもあるようですが、
それが主ではないようで、その辺のコンセプトが
ホームページやパンフレットを見てもちょっとわかりにくい・・・。
まっ「ゆったりしようぜっ」ということでしょう(え?ほんま?)。

大阪では先週茶屋町で、今週は西梅田で開催。
このイベントは今年で4回目ということなのですが、
私は今回初めて知りましたし、
キャンドルがいっぱいあって、キレイなのではなかろうか
ぐらいの軽いノリ(ごめんなさい)で
西梅田まで足を運んでみました。

とりあえずハービスエント前に行ってみると・・・。

おぉっ!なんだか人だかりが!
そして暗いっ!
(ハービスエント・ヒルトンプラザなどがライトOFFされてました)





キャンドルの作品も並んでいるので、
見ながらゆっくり歩いていると、

「立ち止まらないでくださ〜いっ!」

と警備員さんが。

「立ち止まらんと見えへんよねぇ・・」と
苦笑いしながら歩いておりました。


かえる・・・かわいいですね。


かえるの群れ。


もっと通路にズラーッとキャンドルが
並んでいるのをイメージしていたのですが、
そうでもなくまばらで少し寂しい感じ・・・。
ファインダー越しに覗いた方がキレイだったかな〜。
キャンドルだけでなくライブなんかもやっていたようですし、
年々規模は大きくなっているようなので
来年もちょっと覗いてみようかなと思います。


*********************************


ほんとのキャンドルナイトは
6月22日(金)〜24日(日)の夜8時〜10時。
たまにはキャンドルで過ごすのも
よろしいのではないでしょうか。
(あ、くれぐれも火の始末にはお気を付けて・・・)
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ぶらりキャンドルのお供☆
「『お』さんがかえる好きって、私なんで知ってんのかな?」って
私がつぶやいた時、
「…うーん?なんでかなァ、みえるようなとこにはおいてないけどなあ…」と『お』さん


私の心の動き→『え?もしやパ◯ツはカエル模様?はたまた…お風呂にカエルのおもちゃ?』

その心を読み取ったのかなんなのか『お』さん
「会社とかにおいてるねんけどな」

そんな絶妙なやり取りが和んだ
花の金曜日の居酒屋までのステキな散歩時間でした~
お姉ちゃんのきぐるみ 2007/06/19(Tue) 編集
>きぐるみ 様
なんでバレたのでしょうか・・?
読心術!?ちょっと不思議でした(笑

もうちょっとろうそく・・いやキャンドルが
多いとキレイでしたよね〜。
飲みに行くだけでなく、こういうのもいいですよね☆
お付き合いいただき、ありがとうございました!
 【2007/06/20】
無題
徳山昌守(とくやま まさもり、1974年9月17日 - )は、日本のジムに所属するプロボクシング選手、元WBC世界スーパーフライ級チャンピオン。国籍は朝鮮籍。称号は朝鮮民主主義人民共和国労力英雄・人民体育人、勲章は国旗勲章第1級。東京都大田区出身。本名は洪昌守(ホン・チャンス)。在日コリアン3世で、東京朝鮮高級学校出身。ヴァーテックス所属。

少年の時、空手を習っており、ボクシングでの間合いは空手で身に付けた。 長いリーチを生かしたワンツーと左ジャブを駆使し、右ストレートのカウンターを武器とする右ボクサータイプの選手。

入場曲は主に「海岸砲兵の歌」(北朝鮮の軍歌)だが、時々B'zの曲(「juice」等)を使う。

亀田興毅との対戦を熱望していたが、当時徳山が保持していたスーパーフライ級王座の挑戦者に指名したこともあったが、亀田は「(徳山が)フライ級に下げてきたら何時でも戦う」と発言。

しかし、徳山の体格的にフライ級まで減量するのは事実上不可能であるため、両者の試合が実現することは無かった。

在日3世洪昌守としての徳山
一世代前までの在日コリアンは、「通名を通し、在日コリアンであることをひた隠しにする人」と「本名を名乗り、コリアンだと明言する人」に二極化する傾向にあった。しかし、徳山は通名(徳山昌守)を通しつつ、出自と本名(在日朝鮮人・洪昌守)を隠さない。

また、リング上で統一旗を振ったり、トランクスに「ワン・コリア」と刺繍するなどの徳山の行動が「政治パフォーマンス」ととられ、コリアンにおける旧来の対立構図、すなわち「北朝鮮 vs 大韓民国」、あるいは「コリアン vs 日本人」を越えているなどという主張がある。これらをもって、徳山を新世代の在日コリアンにおける象徴的存在として支持するファンもいる一方で、「スポーツに政治を持ち込んでいる」と批判的に見る人もいる。

前述したことに加え、2002年9月17日の小泉純一郎首相の北朝鮮訪問をきっかけに、北朝鮮による日本人拉致問題に関する話題が日本の各メディアによって過熱報道された。この際、徳山も自身のホームページの掲示板に「犯罪者」あるいは「金正日を崇拝するならさっさと北へ帰れ」などと嫌がらせの書き込みが頻発し、一時閉鎖に追い込まれた経緯がある。「徳山がテレビ番組で、拉致被害者について『北朝鮮で結構ハッピーに暮らしてるかも知れない』と発言した」という怪情報も原因となった。

NONAME 2007/06/19(Tue) 編集
>NONAME 様
すいません。この方存じ上げません。
ちなみにこの方の懐は深いんでしょうか?
 【2007/06/20】
無題
最近俺の事忘れてるんちゃうか~~~
忘れとったらあかんど~~~~
なめとったらあかんど~~~
かかってこんかい

やしき たかじん(1949年10月5日 - )は、主に関西で活躍する歌手、タレント。

大阪市西成区出身(現在は西区在住)。本名は家鋪 隆仁(読みは芸名と同じ)。主に関西ローカルのテレビ番組に出演している。愛称は「じんちゃん」「たかじん」など。

個人事務所パブリック・インフォメーション・スタイル(P.I.S)およびS.I.Pの代表取締役、また、P.I.S音楽出版代表取締役、テレビ番組制作会社株式会社エックスワンの取締役を務めている。

たかじんはその破天荒な芸能生活とは裏腹に、私生活を表にほとんど出さない。父の家鋪権三郎については、(長期間絶縁状態にあったせいもあるが、)極右思想の持ち主であったこと以外は一切公表していない。父の職業などについては語りたくないと、発言している(1987年2月23日付の朝日新聞のインタビューによると大手企業の社長)。また母についても、言及は全くと言ってよいほどしていないが、憎んでいるという(たかじんのそこまで言って委員会2007年4月22日放送)一方で、母親と顔がそっくりらしく、「小学校のころ友達に『同じ顔の人が二人いると思ったらたかじん君とお母さんだった』といわれた」、「シャチハタ親子」(はんこで押したようにそっくりという意味)などとも発言している。
弟は現在中学校校長をやっており、たかじんのテレビでのハチャメチャぶりに「あまり滅茶苦茶なことせんといてください」と、その立場もあり何度も懇願しているが、たかじんは、その発言について気に入らないようだ。
祇園の弾き語り時代、お金がなく笑福亭鶴瓶とともに、四条河原町で食べ物を求めさまよっていた。ホームレスに不二家の店の前にあるゴミ箱にあったシュークリームを分けてもらおうと、ジャンケンでたかじんが行くことになったのだが、ホームレスに無視され続け、最後には「兄ちゃん、素人が食ったら腹壊すで」と言われ断られたという。
元アリスのメンバーで歌手の堀内孝雄とは、桃山学院高校の時の同級生である。ちなみにたかじんが新聞部部長、堀内が軽音楽部部長であった。また「べーやん」「やしき」と呼び合う仲。20代後半の頃、売れない歌手を続けていたたかじんは当時生活していた東京で堀内と再会する。「いまアリスやってるねん」と近況を話した堀内に対して、まさか同級生が当時売り出し中のグループのメンバーであるとは思いもしなかったたかじんは、堀内がアダルト向け書籍(所謂ビニホン)のアリス出版で働いているものと勘違いし、「お前ええ歳してもう少し真面目な仕事せんかぁ!!」と説教をした。
大相撲の大阪場所で数多くの幕内力士と飲みに行ったが、たかじんと飲みに行った力士全員が一人の例外もなく全員怪我で休場に追い込まれるという事態になり、相撲協会がたかじんに力士との接触の自粛要請をするという異例の事態に発展した。このことに自分の番組でネタにし「俺が何悪い事したんじゃ」とぼやいていた(過去に貴闘力を引き連れて一晩で400件以上はしご酒をしたこともある。また、暴走族をはしご酒に巻き込んだこともある)。
京都会館のコンサートで、ステージ上にはたばこと水割りを用意させ、水割りがなくなるとボーイが取りに行くというもので、そういう状況で当時全く無名でヒット曲が皆無であったたかじんは延々と喋り続けた(1ネタ40分程度)。客席はホステスばっかりで香水の匂いが相当きつかったという。半ばエンドレスの状況であったため、ついに演奏中に京都会館の人間に電源を切られ、楽器の音と照明が消えると最後には緞帳を強制的に下ろされ、たかじんは京都会館を数年間出入り禁止になってしまった。
たかじんがまだレポーターで外回りしている頃、ロンドンへ向かう飛行機に乗ったのだが、墜落寸前の危機に瀕したことがあった。この時、本気で家族に遺書を書いたという。
1980年代、まだ留守番電話が普及していない頃に高価な機材(15万円位するヤマハのポーターサウンド)を買い(大阪で売っていなかったためわざわざ名古屋まで買いに行ったという)、自作のメッセージを作っていた。自作メッセージには朝用・昼用・夜用とあり、夜用は映画『ジョーズ』のテーマ曲を使用していた。しかし、メッセージを変えるため朝・昼・夜と自宅に帰らなければならず、「こんなもんやってられへん」とやめてしまった。
かつて(1987年)、徳島文化センターでコンサートを行った際、演奏に入る前に「お客さん、今から歌いますけどその後の話はとっておきの大ネタですから聞き逃したら一生後悔しまっせ。トイレ行くなら歌の間に行ってください」とたかじん本人は冗談のつもりで言ったのだが、いざ5曲目の『My Friend』の演奏が始まると、一斉に観客が立ってトイレに行きだしたという逸話がある(コンサートを観ていた大阪遠征組のファンはこの観客に対して激怒したという)。
元・南海ホークスの熱狂的なファンで、ホークス関係で取材を受けたり、ホークスがダイエーに身売りされる際も、反対の署名に参加しており、南海ホークスにまつわるレコード「南海ファンやもん」(歌:アンタチャブル)をプロデュースする。ちなみに、ダイエーに身売りされてからはファンをやめている。子供の頃は、「ジュニアホークス」に所属していた。
前妻が急死してすぐのコンサートで『あんた』を歌っている最中に泣き崩れて立ち上がれずに歌えなかった(『あんた』はたかじんと前妻との想いをベースに作られており、たかじんの最も思い入れのある曲のひとつである。そのため、たかじんがレコーディング中に何度も泣き崩れてなかなか歌えなかったり、コンサートでは1994年のシアタードラマシティのコンサートのラストで歌って以来封印されており、次に歌うのは最後のコンサートのラストの曲とまで言い切っている)。
チラリズーム 2007/06/19(Tue) 編集
>チラリズーム 様
あ、すいません・・・
正直忘れておりました;

しかし『あんた』という歌のくだりは
いいお話ですね☆
 【2007/06/20】
無題
たかじんはその破天荒な芸能生活とは裏腹に、私生活を表にほとんど出さない。父の家鋪権三郎については、(長期間絶縁状態にあったせいもあるが、)極右思想の持ち主であったこと以外は一切公表していない。父の職業などについては語りたくないと、発言している(1987年2月23日付の朝日新聞のインタビューによると大手企業の社長)。また母についても、言及は全くと言ってよいほどしていないが、憎んでいるという(たかじんのそこまで言って委員会2007年4月22日放送)一方で、母親と顔がそっくりらしく、「小学校のころ友達に『同じ顔の人が二人いると思ったらたかじん君とお母さんだった』といわれた」、「シャチハタ親子」(はんこで押したようにそっくりという意味)などとも発言している。
弟は現在中学校校長をやっており、たかじんのテレビでのハチャメチャぶりに「あまり滅茶苦茶なことせんといてください」と、その立場もあり何度も懇願しているが、たかじんは、その発言について気に入らないようだ。
祇園の弾き語り時代、お金がなく笑福亭鶴瓶とともに、四条河原町で食べ物を求めさまよっていた。ホームレスに不二家の店の前にあるゴミ箱にあったシュークリームを分けてもらおうと、ジャンケンでたかじんが行くことになったのだが、ホームレスに無視され続け、最後には「兄ちゃん、素人が食ったら腹壊すで」と言われ断られたという。
元アリスのメンバーで歌手の堀内孝雄とは、桃山学院高校の時の同級生である。ちなみにたかじんが新聞部部長、堀内が軽音楽部部長であった。また「べーやん」「やしき」と呼び合う仲。20代後半の頃、売れない歌手を続けていたたかじんは当時生活していた東京で堀内と再会する。「いまアリスやってるねん」と近況を話した堀内に対して、まさか同級生が当時売り出し中のグループのメンバーであるとは思いもしなかったたかじんは、堀内がアダルト向け書籍(所謂ビニホン)のアリス出版で働いているものと勘違いし、「お前ええ歳してもう少し真面目な仕事せんかぁ!!」と説教をした。
大相撲の大阪場所で数多くの幕内力士と飲みに行ったが、たかじんと飲みに行った力士全員が一人の例外もなく全員怪我で休場に追い込まれるという事態になり、相撲協会がたかじんに力士との接触の自粛要請をするという異例の事態に発展した。このことに自分の番組でネタにし「俺が何悪い事したんじゃ」とぼやいていた(過去に貴闘力を引き連れて一晩で400件以上はしご酒をしたこともある。また、暴走族をはしご酒に巻き込んだこともある)。
京都会館のコンサートで、ステージ上にはたばこと水割りを用意させ、水割りがなくなるとボーイが取りに行くというもので、そういう状況で当時全く無名でヒット曲が皆無であったたかじんは延々と喋り続けた(1ネタ40分程度)。客席はホステスばっかりで香水の匂いが相当きつかったという。半ばエンドレスの状況であったため、ついに演奏中に京都会館の人間に電源を切られ、楽器の音と照明が消えると最後には緞帳を強制的に下ろされ、たかじんは京都会館を数年間出入り禁止になってしまった。
たかじんがまだレポーターで外回りしている頃、ロンドンへ向かう飛行機に乗ったのだが、墜落寸前の危機に瀕したことがあった。この時、本気で家族に遺書を書いたという。
1980年代、まだ留守番電話が普及していない頃に高価な機材(15万円位するヤマハのポーターサウンド)を買い(大阪で売っていなかったためわざわざ名古屋まで買いに行ったという)、自作のメッセージを作っていた。自作メッセージには朝用・昼用・夜用とあり、夜用は映画『ジョーズ』のテーマ曲を使用していた。しかし、メッセージを変えるため朝・昼・夜と自宅に帰らなければならず、「こんなもんやってられへん」とやめてしまった。
かつて(1987年)、徳島文化センターでコンサートを行った際、演奏に入る前に「お客さん、今から歌いますけどその後の話はとっておきの大ネタですから聞き逃したら一生後悔しまっせ。トイレ行くなら歌の間に行ってください」とたかじん本人は冗談のつもりで言ったのだが、いざ5曲目の『My Friend』の演奏が始まると、一斉に観客が立ってトイレに行きだしたという逸話がある(コンサートを観ていた大阪遠征組のファンはこの観客に対して激怒したという)。
元・南海ホークスの熱狂的なファンで、ホークス関係で取材を受けたり、ホークスがダイエーに身売りされる際も、反対の署名に参加しており、南海ホークスにまつわるレコード「南海ファンやもん」(歌:アンタチャブル)をプロデュースする。ちなみに、ダイエーに身売りされてからはファンをやめている。子供の頃は、「ジュニアホークス」に所属していた。
前妻が急死してすぐのコンサートで『あんた』を歌っている最中に泣き崩れて立ち上がれずに歌えなかった(『あんた』はたかじんと前妻との想いをベースに作られており、たかじんの最も思い入れのある曲のひとつである。そのため、たかじんがレコーディング中に何度も泣き崩れてなかなか歌えなかったり、コンサートでは1994年のシアタードラマシティのコンサートのラストで歌って以来封印されており、次に歌うのは最後のコンサートのラストの曲とまで言い切っている)。

初代 桂ざこば(1866年 - 1938年9月19日)は、本名: 小倉 幸次郎(おぐら こうじろう)。

初め3代目笑福亭松鶴門下で光蝶を名乗るが、すぐに園馬を名乗り、旅興行に出る。その後、三遊亭柳生門下で柳吉を名乗る。次に桂三之助(2代目桂文三門人)門下で洗湯亭さん助となり、1897年頃、3代目桂文三門下で初代三輔を名乗る。しかし、1912年に突然落語を廃業し、大阪を離れて古物商を営むが、結局、事業に失敗して帰阪。だが、既に弟子の助六が2代目三輔を襲名していたため、1920年、初代ざこばを名乗る。1931年頃に引退。

三輔時代は、正統的な桂派の中で異色の爆笑派として知られ、仲間内の信望も厚かった。ざこば襲名の後は、新作を手がけ、英語を噺に取り入れたり、あるいは立ったまま落語を演じたりと、常に新しい試みを続けた。寄席通いに電気自動車を使ったりと、時代を先取りする感覚にも勝れていたが、玄人筋から批判されると共に、客からの理解も得られなくなり、往時の人気は取り戻せなかった。得意ネタは『宿替え』『大和橋』『三十石』『口入れ屋』など。

引退後は日蓮宗への信仰を深め、近所の妙見堂参拝を日課とする生活を送っていたというが、自殺を遂げた。享年72。

墓は谷町9丁目の海宝寺。法名: 華辨院超凡日行信士。

チラリズーム 2007/06/19(Tue) 編集
>チラリズーム 様
また、たかじんかい!と思ったら
「初代 桂ざこば」を載せたかったのでしょうか。
この方は存じ上げませんが、
落語にはちょっと興味があります。
 【2007/06/20】
懐屋の翌日…
やしきたかじんプロデュース 落語家生活三十周年 雀々十八番
http://theaterbrava.com/index.html
ゲスト:桂ざこば/若村麻由美
に、行ってきましたよ!
藤山直美ゲストの回に行きたかったのですが、早々に完売…
しかーし若村麻由美は御家人斬九郎の頃から大好きだったので◎
めちゃめちゃキレーでした…☆
ざこびっちとたかじんさんのからみは生で見るとテレビよりさらにユルくておもろかったです^^;
もちろん呑んでおられました〜
今度は落語デートしましょう!
(『お』さんのストーカーみたい?私…ww)
お姉ちゃんのきぐるみ 2007/06/20(Wed) 編集
>きぐるみ 様
あ!それ知ってます〜!
すごくおもしろかったらしいですね。

若村麻由美かぁ。キレイですよね☆
わたしもああゆうしっとり美人には弱いです。
夏川結衣とか羽田美智子とか鈴木京香とか・・・。

>ざこびっちとたかじんさんのからみは
>生で見るとテレビよりさらにユルくておもろかったです^^;
>もちろん呑んでおられました〜

いいな〜。おもしろそうですね!
とくに呑んでしまっているところが!


>今度は落語デートしましょう!

えー!えー!まじっすか!
ぜひぜひ!興味はあったのですが、
友人を落語に誘うのもなぁと最初はひとりで
行ってみようと思っていたのでうれしいです!

では「天満繁盛亭→呑みコース」に
お付き合いいただけますでしょうか☆

あ。誰かオススメの落語家がいたらまた教えてください!
 【2007/06/21】
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HN:
おつぼね
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女性
職業:
会社員
自己紹介:
電話で話すとたいてい怒っているように思われますが、実は怒っていません。

黙っているとたいてい怒っているように思われますが、実は怒っていません。

「中学の時の友達の友達に似てる!」というようなことをたびたび言われます。よくある顔ということでしょうか。

道をよく聞かれるタイプです。
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