昨年12月21日に
母が59歳で亡くなりました。
**********************************************
風邪もほとんど引いたことがない元気な人でしたが、
体調を崩した2年前の9月に、数ヶ月か1年もつかどうかわからない。
末期がんだと宣告されました。
父から家族みんなで話を聞いたときは
「嘘やろ?」「なんでうちのお母さんが??」と
いう思いがグルグル回っていただけで、
後は涙が出るばかりでした。
でも母は泣くでもわめくでもなく
少し困ったような笑顔で
「こんな病気になってしまってごめんなぁ」
と言っただけでした。
私の母は元々病院が嫌いで、最後に検診へ行ったのは
たぶん10年ぐらい前だと思います。
最初は胃潰瘍だったものが胃ガンになったそうで、
検査した時には肺、肝臓、リンパ節に転移し
手術ができない状態になっていました。
末期がんとわかってから
泣き言をあまり言わなかった母ですが、
ただ一つ、
「(がんだということは)人に言わないでほしい」
ということだけ言われました。
母を直接知らない数人には
話してしまいましたが、
「つらい」と言えないことは
とても苦しかったです。
母がいちばんしんどいのはわかっているので、
家族同士では誰も弱音をはけなかった。
「奇跡が起きるかもしれない」という気持ちと
「母がもう死んでしまうかもしれない」という不安が
常に私の中にありました。
たまに話した人からは
「がんは今は治る病気やから」
と励まされましたが、軽く考えられているようで
余計に落ち込みました。
ただ、話を聞いてくれる人が欲しかった。
私が言いたいのはがん患者の家族も
「つらい」と言っていいんだということです。
家族にとって「何もできない」のは苦しいことです。
痛みを代わってあげられることもできません。
でも最後には、ただそばにいるだけでいいんだと
思うようになりました。
去年の11月下旬頃また入院になり、検査の結果
「もう手の施しようがありません。
後1ヶ月ぐらいだと思います。」
と主治医に言われました。
余命が1ヶ月ということは、
父と主治医が相談した結果
母には伝えなかったので、
「いつになったら退院できるの?
早く治して家に帰らなあかんわ。」
と言われたときは思わず息がつまりました。
父が病室で姿が見えなくなると
「お父さんは(どこ)?」
とよく言っていました。
ケンカすることもあったけど、
会話の絶えない仲のいい両親でしたから
父がいちばん苦しかったでしょう。
最後の入院では病状を伝えてはいませんでしたが
自分がもう長くないということを
きっと母はわかっていたと思います。
12月に入って、病室でこんな会話を母としました。
お「私が鶏やったら明日にでも孫産んであげるねんけどなぁ。
ごめんな!」
母「出産に立ち会うのが夢やったのに!」
お「お母さんが立ち会うなんてあんまり聞かへんでー」
母「お母さんが出産したときは、結構おったよ。
愛媛から大阪へ出てきて、一人で産んで不安やったから
娘が産むときは絶対そばにおってあげようって思ってん。」
お「ふーん。。そうやったん。」
母「もし、お母さんがいなくなっても、
あんたが子供を産むときは絶対そばにおるから。
そう思ってがんばりなさい。」
そう言って2週間ほどたった頃、
母は病室で家族全員が見守る中
息を引き取りました。
「孫見るまで死なれへんわぁ」と言っていた母。
「おいしく食べたい。元気になりたい」と日記に書いていた母。
「もっと生きたい」と父にもらした母。
もっと生きていたかったと思います。
でも最後は「痛い痛い」と苦しそうだったので
楽になったんだ、母にとっては良かったんだと
自分に言い聞かせています。
がんは入院や手術をすることももちろんありますが、
通いで抗がん剤をもらって治療することもあります。
はっきり言って抗がん剤は高く、
副作用も人それぞれですがしんどそうでした。
早期発見にこしたことはありませんから
私も定期的に検診を受けようと思います。
病院嫌いの母も最後の方には
「定期検診行った?」と
家族全員に聞いていました。
**********************************************
お葬式にはたくさんの人が来てくれました。
友人も来てくれました。
私の会社の人も全員来てくれました。
昔の上司も来てくれました。
たくさんの人に
「お母さんにそっくりやね」と言われました。
母をよく知る友人には
「おばちゃん、いつも笑ってたよね」と言われました。
そう、母はよく笑う人でした。
がんになってもよく笑ってました。
花嫁姿も孫も見せてあげられなかった。
仕事ばかりして心配をかけた親不孝な娘でしたが、
愛情をたくさん注いで育ててくれました。
ありがとう。あなたの娘で幸せでした。
お母さん。
天国でも笑ってる?
母が59歳で亡くなりました。
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風邪もほとんど引いたことがない元気な人でしたが、
体調を崩した2年前の9月に、数ヶ月か1年もつかどうかわからない。
末期がんだと宣告されました。
父から家族みんなで話を聞いたときは
「嘘やろ?」「なんでうちのお母さんが??」と
いう思いがグルグル回っていただけで、
後は涙が出るばかりでした。
でも母は泣くでもわめくでもなく
少し困ったような笑顔で
「こんな病気になってしまってごめんなぁ」
と言っただけでした。
私の母は元々病院が嫌いで、最後に検診へ行ったのは
たぶん10年ぐらい前だと思います。
最初は胃潰瘍だったものが胃ガンになったそうで、
検査した時には肺、肝臓、リンパ節に転移し
手術ができない状態になっていました。
末期がんとわかってから
泣き言をあまり言わなかった母ですが、
ただ一つ、
「(がんだということは)人に言わないでほしい」
ということだけ言われました。
母を直接知らない数人には
話してしまいましたが、
「つらい」と言えないことは
とても苦しかったです。
母がいちばんしんどいのはわかっているので、
家族同士では誰も弱音をはけなかった。
「奇跡が起きるかもしれない」という気持ちと
「母がもう死んでしまうかもしれない」という不安が
常に私の中にありました。
たまに話した人からは
「がんは今は治る病気やから」
と励まされましたが、軽く考えられているようで
余計に落ち込みました。
ただ、話を聞いてくれる人が欲しかった。
私が言いたいのはがん患者の家族も
「つらい」と言っていいんだということです。
家族にとって「何もできない」のは苦しいことです。
痛みを代わってあげられることもできません。
でも最後には、ただそばにいるだけでいいんだと
思うようになりました。
去年の11月下旬頃また入院になり、検査の結果
「もう手の施しようがありません。
後1ヶ月ぐらいだと思います。」
と主治医に言われました。
余命が1ヶ月ということは、
父と主治医が相談した結果
母には伝えなかったので、
「いつになったら退院できるの?
早く治して家に帰らなあかんわ。」
と言われたときは思わず息がつまりました。
父が病室で姿が見えなくなると
「お父さんは(どこ)?」
とよく言っていました。
ケンカすることもあったけど、
会話の絶えない仲のいい両親でしたから
父がいちばん苦しかったでしょう。
最後の入院では病状を伝えてはいませんでしたが
自分がもう長くないということを
きっと母はわかっていたと思います。
12月に入って、病室でこんな会話を母としました。
お「私が鶏やったら明日にでも孫産んであげるねんけどなぁ。
ごめんな!」
母「出産に立ち会うのが夢やったのに!」
お「お母さんが立ち会うなんてあんまり聞かへんでー」
母「お母さんが出産したときは、結構おったよ。
愛媛から大阪へ出てきて、一人で産んで不安やったから
娘が産むときは絶対そばにおってあげようって思ってん。」
お「ふーん。。そうやったん。」
母「もし、お母さんがいなくなっても、
あんたが子供を産むときは絶対そばにおるから。
そう思ってがんばりなさい。」
そう言って2週間ほどたった頃、
母は病室で家族全員が見守る中
息を引き取りました。
「孫見るまで死なれへんわぁ」と言っていた母。
「おいしく食べたい。元気になりたい」と日記に書いていた母。
「もっと生きたい」と父にもらした母。
もっと生きていたかったと思います。
でも最後は「痛い痛い」と苦しそうだったので
楽になったんだ、母にとっては良かったんだと
自分に言い聞かせています。
がんは入院や手術をすることももちろんありますが、
通いで抗がん剤をもらって治療することもあります。
はっきり言って抗がん剤は高く、
副作用も人それぞれですがしんどそうでした。
早期発見にこしたことはありませんから
私も定期的に検診を受けようと思います。
病院嫌いの母も最後の方には
「定期検診行った?」と
家族全員に聞いていました。
**********************************************
お葬式にはたくさんの人が来てくれました。
友人も来てくれました。
私の会社の人も全員来てくれました。
昔の上司も来てくれました。
たくさんの人に
「お母さんにそっくりやね」と言われました。
母をよく知る友人には
「おばちゃん、いつも笑ってたよね」と言われました。
そう、母はよく笑う人でした。
がんになってもよく笑ってました。
花嫁姿も孫も見せてあげられなかった。
仕事ばかりして心配をかけた親不孝な娘でしたが、
愛情をたくさん注いで育ててくれました。
ありがとう。あなたの娘で幸せでした。
お母さん。
天国でも笑ってる?
2軒目はさっきのバールの近くのお店で
焼酎をサクッと飲みました。
かなりいい感じ酔っぱらった私たちは、
Tちゃんの彼が飲んでいるという西宮のお店で
合流することに。
西宮北口の駅に着いたTちゃん
T「どっちやったかなー?」
ウロウロ・・。
T「こっちやったかなー?」
ウロウロ・・。
T「あれー?ココどこ?」
地元じゃないんですか?
Tちゃんの彼に電話でナビしてもらいながら
連れていってもらったお店は住宅街の中にある、
こぢんまりとしたいいお店でした。
お店に着いたのがもう0時とか1時前とか
そんな感じだったので、ほどなくTちゃんは撃沈。
私も半目だったと思われます。
家に着いたのは4時ぐらい・・。
でも久しぶりにいっぱい飲んで
いっぱいしゃべって楽しい夜でした!
焼酎をサクッと飲みました。
かなりいい感じ酔っぱらった私たちは、
Tちゃんの彼が飲んでいるという西宮のお店で
合流することに。
西宮北口の駅に着いたTちゃん
T「どっちやったかなー?」
ウロウロ・・。
T「こっちやったかなー?」
ウロウロ・・。
T「あれー?ココどこ?」
地元じゃないんですか?
Tちゃんの彼に電話でナビしてもらいながら
連れていってもらったお店は住宅街の中にある、
こぢんまりとしたいいお店でした。
お店に着いたのがもう0時とか1時前とか
そんな感じだったので、ほどなくTちゃんは撃沈。
私も半目だったと思われます。
家に着いたのは4時ぐらい・・。
でも久しぶりにいっぱい飲んで
いっぱいしゃべって楽しい夜でした!
4〜8月にあったこと。
●友人の娘(2歳)が喫茶店の前にあった
アバターのポストカードを見て
友人娘「あ!お母ちゃんや!」
私「これ(下にあった安室ちゃんのポストカードを指し)じゃなくて?」
友人娘「うん!(↓アバターを指し)こっち(笑顔)!!」

●久しぶりに会った友人(独身)に
「まだ結婚してないやんな!?」
私「うん。予定もないっす。」
友人「よかった・・。あ〜!男ホシイ!」
素直な友人がまぶしく見えました。
●電車で30歳ぐらいの男性に席を譲られました。
「なんでなん!?
」と会社で後輩に話すも、
Y野「妊婦と間違われたんちゃいます?」
フォローが下手な後輩により二重にショックを受ける。
●法事で数年ぶりに父の実家(広島)に帰省。
法事が終わったあと、海でも見に行こうかと
思ったら(徒歩5分で海なのです)
父「留守番させてる犬が心配やから帰る!」
日帰りでしたのに。
父の犬バカっぷりに改めてびっくり。
●久しぶりに一人飲み。
文庫本から目を離さず飲んでたら
割とすぐ酔いました。
●久しぶりに会社の元後輩と飲みに。
ちょっと成長したような。してないような。
●友人の娘(2歳)が喫茶店の前にあった
アバターのポストカードを見て
友人娘「あ!お母ちゃんや!」
私「これ(下にあった安室ちゃんのポストカードを指し)じゃなくて?」
友人娘「うん!(↓アバターを指し)こっち(笑顔)!!」
●久しぶりに会った友人(独身)に
「まだ結婚してないやんな!?」
私「うん。予定もないっす。」
友人「よかった・・。あ〜!男ホシイ!」
素直な友人がまぶしく見えました。
●電車で30歳ぐらいの男性に席を譲られました。
「なんでなん!?

Y野「妊婦と間違われたんちゃいます?」
フォローが下手な後輩により二重にショックを受ける。
●法事で数年ぶりに父の実家(広島)に帰省。
法事が終わったあと、海でも見に行こうかと
思ったら(徒歩5分で海なのです)
父「留守番させてる犬が心配やから帰る!」
日帰りでしたのに。
父の犬バカっぷりに改めてびっくり。
●久しぶりに一人飲み。
文庫本から目を離さず飲んでたら
割とすぐ酔いました。
●久しぶりに会社の元後輩と飲みに。
ちょっと成長したような。してないような。
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プロフィール
HN:
おつぼね
性別:
女性
職業:
会社員
自己紹介:
電話で話すとたいてい怒っているように思われますが、実は怒っていません。
黙っているとたいてい怒っているように思われますが、実は怒っていません。
「中学の時の友達の友達に似てる!」というようなことをたびたび言われます。よくある顔ということでしょうか。
道をよく聞かれるタイプです。
黙っているとたいてい怒っているように思われますが、実は怒っていません。
「中学の時の友達の友達に似てる!」というようなことをたびたび言われます。よくある顔ということでしょうか。
道をよく聞かれるタイプです。
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